MH-カガユキ

ちょっとしたメモ。

以前書いた小説を多少手直しすることになりましたので、公開時点でのVer1をこちらに載せておきます。

以下本文

  模型合宿、というのをしようと言う話がネット上で出てきた。首都圏近郊在住者が多いこのクラブ、他地区在住者との交流を図るには、こういう形態での開催がいいだろう、ということである。外部参加者である私は、それに参加すべく、早朝の仙台駅にいた。合宿場所は大洗、戦車で町おこしをしているところである。
 今回招待してくれたのは、とある先輩モデラーで、艦船の考証などでお世話になっている師匠である。本職は聞いたことがないが、横須賀在住で海軍関係者との付き合いもあるとのことである。仙台土産として萩の月、と思ったが、いつも酒とつまみをアップするだけの呑兵衛のようであるので、つまみになるパパ好みの大袋を一つ、それにむすび丸酒こと愛宕の松を一つ、持っていこう。
 現在、仙台から水戸まで直行できる移動方法は、バスしかない。常磐線原ノ町の先の浪江と、富岡の間で不通になっているのである。ただ、海沿いを走る常磐線とは異なり、内陸の二本松を経由するルートを走る。
 では、乗ろう。茨城交通のバスは車内Wi-Fiが使えるので、移動中退屈することはないだろう。しかし、東北道はいつも眠くなる。うとうとしていると、二本松インターに入る。乗降客がいつもはいるらしいが、この時間はいないようだ。出発するとすぐ、安達太良SAに到着する。一度目の休憩なので、お土産を買う。酪王クランチは上り下りと通る度に買うお菓子で、今回も1つ購入した。休憩を終え、出発する。変な形の郡山ジャンクションから磐越道に入る。その直後に阿武隈越えをすると、アップダウンと日差しで、より眠くなってくる。うとうとしていると「北茨城インター」という乗務員のアナウンス。どうやら常磐道に入ったようだ。あっという間である。降車する客はいないので通過する。そして、中郷SAに到着する。ここで二回目の休憩である。停車後、乗務員に一つ質問をする。
那珂湊営業所にはどのように行けばいいのでしょうか?旧型バスを撮影したいのです」
那珂湊営業所は勝田駅から湊線で那珂湊駅で下車して、駅舎に隣接しています。また、水戸駅からは那珂湊駅行に乗車してください。バスが好きなんですか?」
「そうですね。一応それ関係の仕事をしています。バス自体には最近興味を持ち始めました。ありがとございます。聞いてみます」と答える。中郷SAを出発する。次は日立だ。日立中央インターで常磐道を降りると、市街地へ向けて走る。定時より5分遅れて日立駅に到着する。

 日の本一の朝日が昇る駅、それが日立駅に最初に降りた時の感想である。日立製作所の本社があるこの町は、駅前にタービンが置いてある。鉱業機械の修理から、世界的企業まで成長した重工業メーカである。ここから常磐線に乗り換える。バスは水戸まで走っているが、ここから先は東海駅から一般道を走り、所要時間が長くなる。常磐線に乗り換えると、30分早く到着できる。銀色青帯の電車に乗り、南下する。
 
 水戸へ着いた。いつもなら勝田駅で降りて、輸入戦車模型の仕入れに行くのだが、今回は急ぎなので、後にする。会う約束と言っても午後4時に大洗駅なので、それまで水戸観光をしよう。
 水戸駅から行ける観光スポットは、北口が水戸東照宮弘道館、三の丸、偕楽園(バスで行く必要があるが)。南口が千波湖。仙波公園、近代美術館、徳川ミュージアムとある。せっかくだから、弘道館に行こう。徳川ミュージアムは、明日にしよう。博物館に行くと、時間があっという間に通り過ぎていく。それに、今日は刀のゲームとのコラボイベントで、町は混んでいるようだ。
 水戸駅北口を出ると、水戸黄門像が見える。記念写真を撮る観光客がいたので、撮ってあげる。頼まれたわけではないのだが、いつもしてしまう。そこを抜けて歩道橋から三の丸ホテルのほうに向かい、堀跡の道路を北に向かってから、本丸との橋の脇の階段を上がって、初代威公と9代烈公の銅像の脇を通り、弘道館に出る。
 水戸の藩校弘道館は、9代烈公こと徳川斉昭公が設立したことで知られており、尊王で知られる水戸学の中心地として知られるが、烈公没後の藩内の対立(いわゆる天狗党と諸生党の対立)によって戦場となり、その後の水戸空襲によって焼失したため物が多く、現在立っているの物の多くは復元されたものである。しかし、正門は創建当時の物であり、弘道館戦争と呼ばれた内紛当時の弾痕が残っているのである。

弘道館

 「貴様、その門に何か思い入れでもあるのか?」と突如後ろから声をかけられ、飛び退く。熱心に弾痕を見ていたので、気づかなかったのだ。
「幕末史が好きで、史跡めぐりも好きで、当時ものの建物も好きなので、つい見入っていました」と答える。
「そうか、中には入らないのか?」
「入りますよ」と答える。よく見ると、長身の和装の女性であった。背筋と顔立ちが気品がある、というか、軍神と呼ばれた上杉謙信に思えるような人である。相当な和装の美人が一人、話しかけるものだから、江戸時代にでも来てしまったのかと一瞬思ってしまう。
「何か私の顔にでもついているのか?」
「いえ」と答える。なんか話しづらさを感じる。
「では、中に入るぞ」と言い、入っていくのに、ついていく。面白そうな方だ。旅先の観光施設や街並みを別の観光客と一緒に回ることは、よくあることだ。一人旅でガイドを付けるのは、リスクがある。
 弘道館内部は、復元された藩校そのものである。時々講演会が行われているらしく、ただの展示施設ではないのである。その中にスタンプがあり、駅でもらった台紙に押す。
「この者は太鼓鐘と申すのか」とパネルの少年(刀の擬人化)を見ながらその女性は言う。
「そのようですね。この刀の持ち主は伊達、相当刀を集めているようですね」一応、地元の殿様である。今ではむすび丸が刀を振っている土地だが。
「やはりな、伊達殿は風流人と聞くが、それが似合うものだ」いったい、この人はいつの時代からやってきたのだろうか?
「徳川ミュージアムも行ってみたいものだが、残り時間があまりないから、次回にするぞ」そちらも一緒に行くのですか?と内心思うが、この方となら面白いので行ってみたいと思う。
「よく見れば時間がないな。腹が減ってはなんとやら、だ。昼食を取ろう」と言うので、
「水戸で食べましょうか?それとも、大洗にしましょうか?ある程度ですが、調べてきています」と提案する。
「それだ!行くぞ!」と言い、足早に出る。また来よう。旅は一期一会。この出会いは何かの縁だろう。


【50線のバス】

水戸駅へ戻る。水戸駅北口バスプールの時刻表を眺める。
「大洗までは陸蒸気で行くのか?」明治時代から来たのだろうか?と呆れた顔でいると、
「冗談だ。鹿島臨海鉄道と言うのだろう?それで行くというのはすでに調べてある」と答えたその女性に対して、
「駅までは電車(実際には轟音を震わせながら高架を爆走するディーゼルカー)というのはわかりますが、この町は電車線が昔走っていたのですが、現在は廃止されました。その後できた大洗鹿島線は、市街地の外れに駅舎があるので、市街地まで歩いて移動するのが大変です」
「何、そうなのか」
「あまり知られていないのですが、駅から市街地は下りなので楽です。しかし、市街地から駅へ向かうと、結構な坂です。なので、所要時間もかかり、運賃も高くなりますが、バスで移動したほうがいいです。間もなく来るようですので、乗りましょう。」と逆に提案する。
「どのバスだ?」
「正面の数字が[50 那珂湊駅]と書いてあるのです。ああ、丁度やってきました」と入ってきたのは、水戸22あ18-03のナンバープレートを付けた中型バスである。
「どう見ても古いようだが」
「旧型だから、味わい深さがあります。後ろ乗りですね。では乗車です」と言い、車内に乗り込む。珍しいことに、女性乗務員である。乗り込みながら、先ほどのことを思い出して、尋ねる。
「今から那珂湊営業所で写真撮影をしたいのですが、今日は大丈夫でしょうか?」
「はい。フフッ。バスに興味があるのですね」
「ええ。今日もこっちに来るときに茨城交通さんの仙台線を使わせてもらいました」
「ありがとうございます・・」なんか、独特な雰囲気の乗務員だ。
「何だ、早霜じゃないか。辞めた時水戸で仕事を見つけたと言っていたが、まさかバスの運転士とはな」
那智さん、お久しぶりです」え?何だって?と思ってしまい、
「あなたは誰ですか?もしかして」
「ああ、名乗らなかったが、、私は那智だ。重巡洋艦として横須賀勤務だ」何と言うことだ。かなりの有名人じゃないか。
「これは失礼しました。栗原電鉄勤務の加賀です。鉄道関連業務をしています」社内では、もう一つ業務がある。
「そうか、それはおもしろいな。これからよろしく」と手を出す。
「よろしくお願いします」と手を握る。これが握手だろう。
「大洗経由那珂湊駅行、発車します」と車内アナウンスが流れ、バスは出発する。
 
 茨城交通50系統は、本社がある茨大前営業所始発で、水戸駅、浜田を経由し、51号線に沿って大洗に向かい、平戸橋から大洗に入る。駅の脇を通り、磯浜新道の交差点を左に曲がり、大洗の商店街へ入る。有名な肴屋本店の急カーブ(曲松)を曲がり、その先の信号機を右折すると、あたかも城下町を思わせる急カーブが続き、磯前神社の大鳥居に達する。ここから先は大洗海岸を右手に眺めながら、ゴルフ場前の坂を上り、水濱電車の廃線跡の隣の道路を走り、護国寺(あの井上日昭の修業の場)を右折し、祝町を通る。ここは住宅街である。昼間の時間帯はアクアワールド大洗を経由し、海門橋を渡り、那珂湊に入る。湊本町交差点を左折し、少し走ると、終点那珂湊駅である。

那珂湊

「乗車いただきありがとうございます」と乗務員である早霜(退役後茨城交通に就職したようだ)はアナウンスする。
「今日の勤務はこれで終わりです・・。これから車庫をご案内しますから、少し待っていてくださいね・・・」と降り際に言われる。
「営業所の入り口の前で待っています」言われた通り、駅舎の一角が那珂湊営業所である。湊線はもともと茨城交通線であり、第三セクターに移管後も出資しているから、こういう関係なのはわかる。
「今日はとっておきのを見せてあげましょう・・フフッ。1471号車の前で待っていてください。くれぐれも、営業所港内では注意してください」何だろう?古いバスだろうか?
「わかりました」といい、営業所港内へ向かう。
「どれも同じに見えるのだが」と那智さんは言う。
「まあ、一見するとどれも同じに見えますね。14-71号車を探して、その前で待っていましょう。ナンバープレートのことです。」と言い、探す。
「あったあった」と水戸22あ14-71号車の前に行き、待っている、
「そっちは違います・・・。こちらです・・・」と早霜乗務員は言うので、行ってみる。確かに、ナンバーは水戸200か14-71となっている。
どちらも1471号車である。
「ありがとうございます。これは、凄い」(詳しくは描けないのですが、色々あります。ナンバーか4号車で調べると出てきます)
 この後、軽く食べながら那珂湊を早霜さんにガイドしてもらい、見物した。後ほど合流するとのことなので、連絡先を交換(会社の名刺にアドレスを書き足した)してから、50系統で海門橋を渡って大洗に戻り、大洗駅入り口停留所で下車する。そして、駅への坂を上っているとき、那智さんは唐突に話しかけてきた。
「貴様、ここまで一緒にいて、何か気づかないのか?」
月がきれいですね」何気なく空を見ると、月が出ていたのだ。まだ昼である。
「そういことじゃない!!」と顔を真っ赤にして言い出す那智さん。どうしたのだろうか?
「青空の下に白い月が見えたので、見とれてしまったのです」と言いながら、大洗駅に入っていく。
駅に入ると、列車待ちの高校生が数人と駅員一人がいた。師匠はどこだろうか?
「誰を待っているのだ?」
「横須賀から来る、私の師匠です」
「その師匠は、どこにいるのだ?」
「まだ到着していないようですね。連絡があるかちょっと見てみます。」とスマフォを取り出して、メッセージボックスを見る。連絡は来ていない。
「まだ連絡は来ていないようですね。もう少し待ってみます」
「連絡など待つ必要はないぞ。そもそも、隣にいるのにする必要があると思うか?」え?何だって?
「・・がここまで若いとは、思ってもいなかったがな。いつ気づくか試していたのだ」
「模型の作例と毎日の晩酌の写真を挙げる師匠が、こんなにも若く、美人だなんて予想外にもほどがあります。改めまして、・・です。本日はよろしくお願いします」そんな、信じられないことがあるなんて。
那智だ、こちらこそよろしく頼む」
「正直急なことで、何を話していいかわかりません」
「そうだろうな。だが、とても面白い奴だ、と言うことはよくわかった」そうですよね。あれだけバスの写真を撮っていれば、そう思われますね。
「では、とりあえず宿にチェックインしましょうか?」
「そうだな」と言い、また来た道を戻る。50系統に乗車しているときであれば、そのまま宿に荷物を置くのに。
「おお、さっきすれ違ったバスだ」とナンバーを見ながら、バスに乗り込む。水戸200か3-05、特徴的な3ドアのバスである。
「珍しい形のドアだな」
「混雑する終点で全部のドアを開けて早く降りれるようにするための工夫だそうです」そういうと、バスは出発し、元来た道をまた戻ることに、
「今晩の宿はどういうところだ?」
「漁師民宿の宿です。朝食は美味しいですよ」
「それは楽しみだな」ここで、先ほどの早霜さんに宿に荷物を置くために一旦戻ると連絡する。
バスはテニス場を通過し、幕末と明治の博物館前に止まったので、ここで下車する。
「ここから少しゴルフ場側に歩くと、今夜の宿です」
「もう少しだな」
 宿は色々なお土産や、不思議な水槽など色々あった。荷物を置かせてもらって、少し、休もう。外のベンチに座り、通りを眺める。冷凍トラック、軽自動車、トレーラー。仕事用の車が多いな。細長い中型ロングのバスも、通り過ぎていく・・・。

【さくらい食堂へ】
「皆さん起きてください」宿の外のベンチで座っていたら、うとうとしていたらしい。
「夕食・・・。食べに、行きませんか?」
「さっきから歩き疲れたので、食べたいところです」
「そうだな。早霜、どこかいい店はないのか?」那智さんは、元気そうだった。さすがは海の女(?)だ。
「・・さん、しっかり食べれるお店がいいですか?それとも・・・・、お酒が飲めるお店がいいですか?」
「結構空腹なので、しっかり食べれるお店がいいですね。実は酒はあまり飲まないのです」
「なら、さくらい食堂がおすすめです。あのカツ丼がおすすめです」
「あの、とはどういう意味だ?」確かに、普通のカツ丼とは違うのだろうか?
「行ってみて・・・、からのお楽しみです。フフッ」不思議な方だ。しかし、気になる。
「そこに行ってみたいです。師匠、どうでしょうか?」
「師匠呼びには慣れていないな。主の意見を聞いて、しっかり食べるか」これで決まりだ。
「磯浜新道のバス停から歩きますよ」
「それでも、食べたいです」
「そうだな。早霜がそこまでいうのだから、相当おいしいのだろう」
「では、ご案内します」そして、またバスに乗る。歩いていけなくもない距離だが、疲れているので、乗ってしまう。
 今度のバスは大型の10-85、早霜乗務員氏による解説だと、この便だけは茨大前営業所所属らしい。ほかの50系統は、那珂湊営業所の担当とのことである。そして、磯浜新道の停留所で降りると、そこから曲松から続くバス通りを南に向かい、大きな通りを亘理、少し行ったところに確かにさくらい食堂がある。
「あれ、暖簾がかかっていないですね」
「何だ。休みなのか?」と腹を空かせた顔の那智さんは、少し不機嫌になる。
「午前中、開いていたので、今日は早く閉めているのかもしれません・・・。ちょっと、聞いてみます・・・」
「無理ならすぐほかのお店にしましょう。無理に開けてもらう訳に」ああ、入って行ってしまった。無理に開けられても困るな・・・。
「今から3人なら、大丈夫です」

【あのカツ丼】
「ありがとうございます!!」空腹のときの救世主である!!本当に困った時に手を差し伸べてくれたのである。さっそく中に入る。昭和の相撲取りの写真と手形がある空間の座敷の一番奥には、大量の戦車模型が置いてある。客が作って置いていくようだ。
「わざわざ宮城から来てくださったのに、出さずに返すわけにはいかないから」と食堂のおばちゃん。
「一つ質問なのですが、あの、と普通のカツ丼の違いはなんでしょうか?アニメに出ていたことだけでしょうか?」と尋ねる。
「肉からして違うよ」とおばちゃん。「サイズも大きいし、肉の質も暑さもあの、のほうがいいのを使っているよ」
そうやり取りしているうちに、厨房の奥方から、揚げ物のにおいと音が漂ってきた。
「そろそろだな」と那智さん、ちゃっかり日本酒も注文している、
「はい、あの3つね」と"あのカツ丼"がついにテーブルに到着した。

 さあ、食べよう。まずは、カツからだ。肉厚ジューシーなカツに、出汁が沁みていて何とも言えない美味しさである。ここまで来た甲斐があった。それに、上の卵がまだトロミを持っており、固まりつつあるようだ。下のご飯も食べる。米も粘り気が少なく、出汁が沁みこみやすい状態である。
 あっという間に、食べてしまった。敷き詰められたトッピングのねぎも、美味しい。
「これほどのカツ丼があるだろうか?」と食べながら、独り言を言うと、
「ここのカツ丼を・・、食べるためだけに来られる方もいるようです・・」と早霜さん。
「ははは、今日は気分がいいぞ」那智さん、カツ丼を食べる勢いで何杯日本酒を飲むつもりですか?
「わざわざ宮城から来て、今日は良かったです。このようなおいしいカツ丼を食べれて」と残り一切れを見ながら、言う。
 食べ終わった。ここまで満足した夕食は、初めてである。
「とてもおいしかったです」と答えて、代金を支払う。よく見ると、酔いつぶれているような那智さん。起こそうとしても「運んで行ってくれ」と言うだけで、動こうとしない。
「こういうことは?」と早霜さんに聞くと、
「初めてです・・。那智さん、閉店の時間を過ぎているのですから、帰りますよ・・」仕方ない、担いでいくしかないな。
 とりあえず磯浜新道まで歩けば、あとはバスに乗せて最寄りバス停で下し、少し担ぐだけでいい。